平成26年度 東山会会報

加藤仁名誉教授への追悼の辞


名古屋工業大学教授
中村 隆

昭和55年卒業(第39回)

加藤仁名誉教授への追悼の辞
  

加藤仁先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私が加藤先生とお話ししたのは名古屋大学の博士課程入試の時に、今も不得意ですが英語試験の出来が悪くて先生から叱られたのが最初でした。名古屋工業大学修士課程での研究分野が近く、以前から学会等でお会いすることはあったのですが、学生の身分でお話しできる方ではありませんでした。
 名古屋大学博士課程に入学してからは公私ともにお気づかいを頂き、私ども夫婦の仲人も快く引き受けていただきました。子供ができてからも徳川山町のご自宅に何度もお伺いし、先生ご自慢のシャクナゲ盆栽を拝見しながら楽しい時間をすごさせていただきました。
 加藤先生の研究業績は、振動工学(特に切削加工におけるびびり振動)、金属切削学、トライボロジーおよび制御工学など多岐に亘りますが、私が名古屋大学の助手になってから、機械工作研究室の職員室に朝来られ、小林先生(本年3月まで名城大学副学長)が煎れたコーヒーを美味しそうに飲みながら話されたことが印象に残っています。それは切削びびり振動の実験で、当時は高速の記録計と言えば、オシロスコープかガルバノメータしかない時代。先生はガルバノの光を感光紙に高速で記録する装置を自作され、暗室の中での長時間の研究となったようです。先生が「真夏に暗室から汗まびれになって出てきて水を一杯飲み『プアー』と大声をだして暗室に飛び込むのを見て、みんな唖然としてた」と笑いながら話されました。他に類を見ない成果を出すには知力と体力だと感心しました。そういえば加藤先生は野球、卓球、テニスを若い私たちに負けない技量で楽しまれていました。同じ年代となった今の私にはとても真似ができません。
 加藤先生のご略歴を紹介させて頂きます。加藤先生は昭和21年9月に名古屋帝国大学工学部機械学科を卒業され、同年11月運輸省運輸技官を経て昭和23年5月名古屋大学助手、昭和25年12月名古屋大学助教授、昭和37年7月名古屋大学教授になられています。学協会関係では、一般社団法人日本機械学会理事、同評議員、同東海支部副支部長、同副会長、公益社団法人精密工学会評議員、同東海支部長、同理事、同副会長、一般社団法人日本潤滑学会(現日本トライボロジー学会)理事、同評議員、中部生産加工技術振興会会長などを歴任され、その運営に参画されるとともに、昭和52年11月には日本潤滑学会名古屋大会実行委員長として、また昭和57年10月には精密工学会秋季大会実行委員長としてその重責を果たされ、これら学協会の発展に寄与されました。
 私自身がこれまでに行ってきた仕事は、上記の加藤先生が拓かれた道筋を後から辿ってきただけであったと、今更ながら敬服し、お別れの言葉とさせていただきます。

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